第1回学童保育をかたろう会議事録

2012年1月の運営委員会は「第1回学童保育をかたろう会」として開催しました。

 


「第1回学童保育をかたろう会」

 

日時:2012年1月14日(土)18:00~20:30

場所:若松地域センター 第1会議室

来賓:文京区指導員、文京区連協会長、文京区連協保護者代表

参加:学童クラブ職員、東五軒、西落合、富久、西新宿、中落合、早稲田南、せいが、中井、北山伏、信濃町、北新宿第一、役員、OB 33名

司会:三島さん(事務局次長、薬王寺OB)

 

・新宿区連協会長

学童とはなに?・・・と思うことが多い。区よりこれしかできません、といった学童の限界をきかされると、ひろばとの違いはなにか分からなくなる。学童クラブからひろばに子どもたちが流れているのが現状。新宿区では、全館民営化という話しがでているが、民営と公営ではどうちがうのか、なにがいいのか、はっきり分からない。そのため、みなさんで考える場をもうけさせていただいた。子どもたちが安心して、安全に過ごせるよう、みなさんと学んでいきたい。

 

・司会

子どもたちが学童クラブでどう過ごしているのか、意見交換したい。今のところ区は学童クラブが民営になるとサービス(主に預かり時間)が充実するとしか言わない。これを充実させるには民営化するしかない、とも言われ、押し切られて民営になる。子どものことを考え、子どものためによりよい学童クラブ、児童館にするにはどうするべきか、子どものよい居場所づくりを考えていきたい。

 

・文京区職員、学童クラブ指導員 高橋様

指導員になって21年。公設公営の育成室(※文京区では学童クラブのことを育成室と呼ぶ)の指導員。今は学校内にある育成室にいる。在籍児童数が56名の大所帯の育成室である。ここで3つめ。はじめは児童館併設の育成室に5年、次は単独の育成室に6年、そして今のところが10年。

 

文京区は、育成室が区内に26ある。民間に委託しているのは2箇所のみで、あとは公営。だいたい定員は40名だが、うちのように56名在籍しているところもなかにはある。

指導員は区の正規職員が最低でも2名おり、プラスα。

 

育成室指針をみていただきたい。これは現場の職員が8名ほど集まり、他からの意見を聞きながら考え、検討を繰り返してつくりあげた。ただしあくまでも指針で、あるべき方向を目指すためにつくったもの。

指針と同義語にマニュアルがあるが、マニュアルというと、それ以下でもそれ以上でも許されず、マニュアルではなじめないと思い、指針とした。

1度つくっておしまいというわけではなく、今後も改良を加えながら活用していきたい。

・文京区連協会長 下村様

子ども2人が6年間高橋先生にお世話になった。今年上の子が就職する。新宿連協は現役父母が会長、素晴らしいこと。

 

・文京区保護者代表 高野様

子どもは小4。大阪出身。子どもは公設民営の保育園で3歳まで過ごし、4歳からは公設公営の幼保一元化のこども園に。そして小学校では公営の育成室に。職場に近いということで文京区を選んだため、とくに文京区に強い思い入れはなかったが、子どもを育てていくうちに、地域は大切だと実感。連協に参加した当初は民営化に対してサービスが拡充されるならいいのでは、という賛成の立場をとっていた。しかし3年過ごしていくうちに、これだけさまざまな人がいて、活動しているから育成室が保てるんだということを実感。連協活動を通して、親として地縁を得た感じ。

 

・文京区職員、学童クラブ指導員・高橋様

※学童保育の生活で大切にしたいこと(メモ)をご覧になりながら

私自身の経験を少しお話しすると、指導員になって1年目は学童クラブのことをあまり知らなかった。父母会があると指導員が残らなければならず、さらに月1度の連協の運営委員会にも参加するよう言われ、「なぜ行くのか?」と先輩に聞いたことがある。「そういうものです」と言われた。

しかしそのうち、保護者との関わりをもつうちに励まされることも多くなった。つらいこともあったが、今思い返すと楽しいことばかりが思い浮かぶ。

父母会主催のキャンプにも、その準備段階から関わり、一緒に取り組んできた。キャンプに参加する職員は「出張」となる。つまり仕事の一環として扱われ、代休もとれる。当初は、指導員が自分の休暇を使って、キャンプに参加していた。その後、「職務専念義務免除」の扱いとなり、現在は「出張」という扱いとなっている。職員も、また保護者も、行政に声をあげたため、できたことである。

 

子どもとの関わりも大変楽しいことが多い。低学年はいろいろなことを吸収する時期で、そのため言葉が乱暴になることもあるが、ウル覚えの言葉をつかうとき面白い。

たとえば、計算が速いよね、という意味で「計算高いよね」。「日焼けしている」ことを表現したくて、「腹黒い」、子どもにあわせた行動をとったところ、「もう大人なんだから」と子どもにたしなめられることもある。

 

4月当初。最初の自己紹介のときにどういうふうに呼ばれたいかを子どもたちに聞いている。お互いの関係をつくる第一歩だと思っている。学校では「○○先生」と子どもは呼び、子どもたち同士は「○○さん」と呼ぶところが多い。学校はパブリックの世界だからそれでいい。パブリックに対応する言葉にプライベートがあるが、これは家庭だと思う。学童クラブ、育成室はその中間である。だからそこには独自の文化があってもいいように感じている。そのため呼んで欲しい呼び名を聞いている。

 

1(2)対象となる子どもたちの特性

○小学校低学年期の子どもの発達特性

低学年期は成長・発達の過渡期で、言葉や人との関わりに変化がみられる。乳幼児期は大人と子どもは「垂直の関係」にあり、絶対的であった。子どもは大人に保護されるものという位置づけである。しかし、低学年気になると、垂直の関係をもとにしながら、友達同士の対等・平等の関係のような「平行の関係」へと移行していく。友達との関係も複雑になり、関わり方が少し難しくなる。だから指導員は、子どもと接する際に、子どもからの求めも含めた状況によって、位置関係・距離感を考えなければならない。

ときには手や口をこちら側が出すことなく、自分たちで行動するのを見守る姿勢をとっている。うまくいかないかも・・・という思いを抱いてもあえてやらせることで、次につなげることができる。

 

○学童保育に通う子どもたちの特性

保育園のときは、友達の母親は働いているのが当たり前であった。しかし、小学生になると働いていない、専業主婦の母親の存在を目の当たりにする。学校で「放課後、どこで遊ぶ?」という会話を仲間たちがしているなか、学童保育に在籍している子どもたちは、まず、学童保育に帰ってこなければならない。だから余計に子どもの居場所を大事にしてあげたいと考えている。

 

では居場所となるために、何が大事かというと、「心地よさ」ではないだろうか。あるべきありようでそのままでいられること。ちょうどいい状態ということである。

学校からいろいろなものを抱えて子どもは学童保育に帰ってくる。その日にあったこと、たとえばそれが重いものでも、それを抱えてやってくる。

 

以前、育成室に通っていたAちゃんという女の子がいた。その子は1人エリアの違うところからやってきていたので、その子が育成室に来たときにはみんなはすでにおやつを食べているころ。その子が来て第一声に「オイ、高橋まこと53歳」「今日転んですりむいたのはオマエせいだ」「テストができないのはオマエのせいだ」「きらいな人参が出たのはオマエのせいだ」・・・こういったやりとりをしたあと「あ~」と深呼吸をしてからおやつを食べるというのが日常だった。こういった関係があってよかったと思っている。学校でおこったことを話したい、という気持ちをぶつけてきたのだろう。その子は友達や他の指導員に対し、乱暴な口をきくことはなかった。居場所があるというのは、自分をさらけ出せる場所があることだと思う。

 

子どもの様子をみて、いつもと少し違っているとき、声をかけるのか、あえてかけないのか考える。声をかけることでかえって子どもを追いつめてしまうことがある。真向かいにいて、目を見ながら「なんかあった~」と話しかけることはプレッシャーになりかねない。目のもつ力は大きい。

まずは視線を合わせず「話し聞くよ~」「話したくなったら来て」とその子との関係をもとにちょうどよい位置・距離から声をかける。あわせて、「今、この子はどういう状態なのかな。黙っているけど、自分の中に抱えたモヤモヤを消化しようといているのかもしれないな」と思いを馳せてみる。こうした配慮が必要だと思う。

 

○忙しい子ども達。「三間の喪失」。大人と子どもとの垣根がない

子どもたちも忙しい。週休5日制になり、さらにこのところ授業時間が長くなっている。よく三間が喪失していると言われる。時間、空間、仲間のこと。

また、時間的にも空間的にも、大人の世界と子どもの世界との垣根がなくなっているとも感じる。子ども用のドリンク剤のある時代。

 

子どもが何かをする(=doing)ということよりも、まずはそこに子どもがいる(=being)ということを大事にしたい、と思っている。一輪車ができる、サッカーができる・・・など、○○ができるということはステキなことではあるが、すべての子どもがそういった活発な子ではなく、なかにはじっくりと本を読んで過ごしている子どももいる。仲間たちと活動的だからいい、一人で過ごしているはいけない、ということではなく、その子がどのように過ごしたいのか、その子の思いに依拠した生活が作られることが大切だと思う。

とは言っても、ずっと本を読んで一人で過ごしている子どものことは気になる。あわせて、おやつの前後に書く連絡帳に「本を読んでいました」の一言が毎日続くのは保護者のことを考えると忍びない。そこで、本を読んでいるにしても、たとえば「ドラえもん、完全制覇したいようです」と一言添えたり、私のパートナーは絵が得意なので、その子が本を読んでいる様子を描いたりするなどして、子どもの様子を伝えている。

 

2子どもたちとの関わりのなかで大切にしたいこと

子どもの居場所、生活空間を守ることは大事なことである。

学童クラブ、育成室は異年齢集団であるが、一人一人の子どもたちがその集団を構成し、それぞれの子どもたちの思いがあることを大切にしたい。

元気いっぱいにボール遊びをする子はよいが、1人で過ごす子は活発でないと思いがちである。でもそういった子はどういう思いで1人で過ごしているのか、その子の思いを考えることにしている。思いを重ねることは大事なことである。

 

2(3)「個」と「集団」の関係

いろいろな遊びを通してうまくいかないとき、どうするか。

ルールはそこで過ごす人が、いつも気持ちよく過ごせるためにあるもの。ルールをつくるということは大事である。たとえば以前校庭でよく野球をやっていた。野球と言っても正式なものではなく、人数が6人ぐらいなので3対3、ふつうの野球はできない。ピッチャー、キャッチャー、そして守り、相手チームのバッターがいるが、低学年なのでうまく球が投げられず、当然打てなかったりする。そうすると守っている子はひまになり、座り込む、そして砂遊びがはじまる、そこにたまたまボールが飛んできて、抜けてどんどん点が入り、やじられる・・・ということが多かった。するといやになって続かない。

しかし野球でもあるルールをつくったら長続きしたことがあった。

子どもの野球はなかなか3アウトがとりずらく、点が入りやすい。だから3点はいったらチェンジというルールをつくった。そうしたら意外と楽しめた。

 

テレビ番組の「逃走中」のようなおにごっこもみんな好きである。ミッションを子どもたちが考えて楽しんでいる。遊びを通して仲間がいてよかった、仲間がいて楽しいという実感を得てもらいたいと思う。

全員で遊ぶことを大事にしている館もある。

以前全国集会で関西地方のある指導員からこんな話しを聞いた。この学童保育では、おやつの後、毎日全員で遊ぶことにしていたが、あるとき、指導員の数が足りず、「今日はみんなで遊ぶことはできない」と子どもたちに伝えると、子どもたちからは「やった~、今日は遊べる」という反応が返ってきた。その指導員は、今まで何をしてきたんだろうと頭を抱えてしまった。

また、他の学童保育では、1~6年生が在籍していて、おやつの後はみんなでドッチボールをして遊ぶことにしていたが、1,2年生には高学年が投げる球は速くて怖い。高学年の子どもたちにこのことを伝え、少し手加減してもらうよう話をすると、今度は高学年から「面白くない」という意見が上がってきた。これではみんなで遊ぶ意味がないと判断し、みんなでドッチボールをして遊ぶのはやめることにした。すると6年生からは「なぜやめるのか?」という声が上がった。「自分たちもこれまでいやだったけれど、我慢してやってきた。なぜ自分たちが天下のときにやめてしまうのか…」という意味だった。そこで、その指導員は「そんなにみんなで遊びたいのなら、自分たちで企画してみたらどうか」と子どもたちに提案した。すると、高学年が中心となり、低学年を誘い、遊びもドッチボールだけでなく、みんなで相談しながら、その日の遊びを決めていくようになった。

「みんな遊び」については、子どもの思いを反映させるべきである。

 

(4)「日常」と「非日常」

指導員として、イベントをやったら仕事をした気分になるが、準備をしているときなど思い返すと子どもの言葉にあまり耳を傾けていないこともある。

子どもはあれもこれもと取り入れると疲れてしまう。とくに秋は運動会や学習発表会など様々なイベントがある学校が多く、学校から疲れて帰ってくる。さらに学童保育に来ても行事の準備では疲れてしまう。学校の予定を考えて行事を決めることである。

 

(5)「橋渡し」をすること(「思い」と「思い」とをつなぐ)

子ども同士のトラブルもある。そのときにお互いの思いを橋渡しする必要がある。お互いの思いを聞くことを大事にしている。

大人は事実関係にこだわるが、子どもにとっては何が起こったのか時系列にならべて答えるのは難しい。

たとえば,AくんとBくんがけんかをした。話しを聞くとAくんがぶったとのこと、そこでAくんに理由を尋ねると、「Bくんが先に…」という返事が返ってくる。今度はBくんに理由を尋ねると、「Aくんが先に…」という返事が返ってくる。こうしたやりとりが永遠に続きいくらでもさかのぼることが歩。お互いに「嫌だった」という感情があり、感情は論理を越える。時間・空間をも平気で越える。大切なのは、お互いに嫌な思いをしたという事実があること、そして、今後、お互いがそうしないためには、どうしたらいいか考えることだと思う。

 

トラブルの間に入ると、急に一方が「ごめんね」と謝りだし、そうすると、もう一方が「いいよ」と返事をすることがある。さっきまで掴みかからんばかりに腹を立てていたのにもかかわらずである。「ごめんね」と謝られたら、「いいよ」と許せることは素敵なことではあるが、そうできない時もある。「謝られても許せない」という負の感情は否定されるべきものではない。

1週間かけてつくったブロックを、飛んできたボールに壊されてしまった。そんなときは、今は許せない、という感情があってもいいし、その感情を否定しないようにしている。あやまったという事実はあり、許したという事実もあるが、でも感情的にはまだ許せない。その場合、このままの形で区切りをつけることでもいい。

 

子ども同士のトラブルを保護者に伝えることもある。基本、学童保育で起きたことはその中で解決すべきだと思っているが、たとえばトラブルがずっと続いているケース、怪我を伴うケース、保護者が心配しているケースなどの時には伝えるようにしている。

その際には指導員がどういう関わり方をしたのか、最終的にどういう結果になったのかを伝える。それも同じ内容を、同じ時期に関係する保護者には伝えている。同じ時期に同内容を知らせておけば、たとえばその保護者同士が道でばったり会ったときにそのことについてちょっとでも話すことができる。しかし伝える時期がずれてしまって、一方だけ知っているというときに道でばったり会っても、そのことについてはまったく触れられず、一言ぐらい・・・と一方の保護者が感じることがある。親同士のトラブルに発展しかねない。

 

保護者に伝えるときは、連絡帳、手紙、電話をつかう。電話の場合、やはり家まで電話があると保護者は悪い知らせだと思ってしまう。丁寧な説明が必要である。また保護者に知らせることは子どもにも伝えている。そしてあまり心配しなくていい、ということも言っている

 

子どもに対してこちらが叱りすぎてしまったときも、その日の保育記録をつけながら考え、そして叱りすぎた子どもに電話をすることもある。まずお家の方に事情を説明する。子どもにかわってもらい、あやまる。意外と子どもはそのときのことを忘れていて「いいよ、じゃーね」で終わってしまうこともある。

 

(6)思いを重ねあわせる

配慮が必要な子どもが数名いる。パニックになることもある。

E子ちゃんという子がいた。彼女は発達障害で、お迎えに行った指導員から、学校でパニックになっているとの連絡があった。学校では保護者会があり、この子は母親の姿をみてしまい、家に帰ることができると思ってしまった。しかし、学童保育にいかなければいけない。そのためパニックとなり、大泣きした。

連絡があり、駆けつけたところ、泣いているE子は担当の先生や校長先生に囲まれていた。大人に囲まれていることだけも、刺激が多すぎると思い、私が場を引き取った。大泣きしながらつらい思いをしている彼女をなんとかしたいという思いだった。彼女は歌が好きであることを思い出し、ギターをもってきてもらってギターを弾き始めた。帰りの会に歌う歌を口ずさむと少しずつ表情が和らいできて、そのまま歌を歌いながら、育成室に戻った。その後は何事もなかったように、過ごすことができた。「何とかしたい」と思ったときに歌が浮かんだ。子どもの叫びに耳を傾けることで突破口がみえてくることがある。

 

また3年生のFさんは、落ち着かない時期があり、イタズラや周りとのトラブルが絶えなかった。その時、私のパートナーは、その子の思いをすべて聴くことに徹した。「もっと自由に過ごしたい」「そうか」「○○が嫌い」「そうか」…と。こうした関わりをもとにして、少しずつ信頼関係が作られるようになった。

なにかあったときに「ちゃんとしなさい」「わがままだ」と決めつけて対応することはラクであるが、それでは何も問題は、子どもたちが抱える辛さは解決しない。関係をつくりながらみていくことが大事である。

 

(7)「連携を図る」ということ

学校、地域と学童保育は連携したほうがいいと思うが、そのための条件がある。お互いの領分の中で子どもを守る覚悟があるかどうかということである。

 

学校、地域と学童保育が連携する際には、それぞれが、連携する目的を理解している必要がある。そうでなければ、子どもを丸裸にして、放りだすことにしかならないことになる。「子どもたちのため」と言いながら、子どもたちがおきざりにされることがある。

子を守る覚悟がなく、子どもへの批判を繰り返すだけなら、連携しないほうがよい。

 

以前、発達障碍のある6年生の男の子のトイレトレーニングを学校の先生と育成室で連携して相談しながら進めたことがある。

 

(8)不確定さのなかに身を置くこと

子どもたちが、今どういう状態か、どんな気持ちでいるかを理解しようと日々思っている。できないことや解決しないことも多いが、そういうときは一緒に悩めばよい。断定して言い切ったほうがラクだが、それはあえてしない。何かの手立てを講じる際には、まずベストな方法を考え、それが思いつかないなら、ベターな方法を探す。それさえも思いつかない場合は、少なくても、現状維持に努める。あわせて、良かれと思って取った手立てであっても、効果がなかったり、マイナスになるようなら、きっぱりやめてみて、また別の方策を考えるようにしている。あまり「初志貫徹」という発想は乏しい。何かを判断しなければならない時には、A案・B案だけでなく、「今は判断しない」という選択肢を持つことも必要だと思う。そうするることで、指導員に余裕が生まれ、子どもたちを追い詰めなくても済む。

きっぱり答えを出さない状態は、心の持ちようからするとあまり気持ちいいものではないが、それでも子どものことを考えて最良の方法をとるべきである。

 

(9)「生活づくり」の主体者は、子どもであり、保護者であり、指導員であること

○「要求者」ではなく、「主体者」として関わること

保護者は行政や指導員に対して問題だと思うことは我慢せず、思いを伝えた方がいいと思う。しかし、要求が通った、通らなかったなど、要求者と被要求者という二者択一の発想は間違いだと思う。やりとりの到達点、結果には責任を持つという「主体者」であってほしいと思う。

 

保護者から相談を受けた際、指導員としてその子どもへの具体的なアプローチを考えることがあるが、それが成立するためには、子ども自身が前提には、お家の人が育成室の指導員に相談しているという事実とその内容を理解していることが前提となる。子どもの納得と了解が前提になるということ。

お母さんだからこの話しをしたのに、他の人が知っているというのはだめ。子どもとの信頼関係を損なうことになる。

よく「情報共有」の大切さについて、話されることがあると思うが、確かにそうではあるが情報共有することで、当事者感覚が損なわれることがあるのではないかと自戒する必要があると思う。

 

3子どもへの理解を深めるために

(1)継続的に日々の保育を記録すること

子どもがどう過ごしているか、どう関わったのか、記録を書きながら分かること、気付くことがある。それをもとに子どもと関わっていくし、職場内でカンファレンスすることもある。

 

(3)自己研鑽、研修や研究活動の充実、「保育指針」の活用

わからないことがあれば、調べてみることが必要だと思う。それをただの知識にとどめるのではなく、目の前の子どもたちの姿と照らし合わせてみたり、職場内で共有することが必要だと思う。

 

4むすびにかえて

(2)つけいる隙をつくる。喜怒哀楽をともにかみしめる

「ちょっと待って」と言いすぎると、指導員は子どもに相手にされなくなる。声をかけやすいようなやわらかい雰囲気、ふところに入れるような雰囲気をつくること。

 

畳の上でオセロをやっていると、子どもが上にのってくる。じゃれてくる。そういったことを大事にしたい。子どもとの関係がつくれる身近な存在でいたいと思っている。

喜怒哀楽をともにかみしめたい。注意するだけでは、のんびりとした生活を一緒につくることができない。

 

 

質疑応答

・なにかあったと思われるときに、それを聞き出すことは子を追いつめることになるということをこれまでやりがちだった。

連絡帳は以前は少ない人数だったので、書いていただいていたが、今の学童クラブは40人で、なにかない限りは書かれていない。先生も忙しいから書かれないのだろうか。集団遊びは、上の子のときは夕方終わり頃にあったが、今3番目の子が通っている学童クラブは集団遊びのノウハウがないようで、異年齢の力の差をうまく生かしていないようだ。子どもをそこにうまく巻き込めないように感じる。楽しい気持ちで巻き込むことができない。子どもが楽しい気持ちで参加できる雰囲気づくりをしていただければいいように思う。

 

子どもたちとの関わり方については、打ち合わせの中で、子どもたちの様子やその時の関わり方を出し合うことで、検証していくことを大切にしている。あわせて、研究活動の一環として実践記録を書いたり、文献をよんだりしているすべてのことが糧になっている。

 

実践記録を書くことは大変である。私の場合、1人の子どもの生活の様子、その子との関わりをA4で20枚ほど書いている。

実践記録に取り組むということは3回打ちのめされる。まず保育記録を書くとき。

そして実践記録としてまとめるとき。こんなことしかできなかったと思うこともある。

3度目は検討しながらだめ出しをもらうとき。

 

連絡帳には、指導員はその日の様子を少しでも書くものだと思っている。子どもが育成室でどう過ごしているのか、伝える責任がある。私のいる学童保育では、保護者に連絡帳を書くことを義務づけしていない。なにかあれば書いてください、と言っている。非強制的なものだが、継続性のあるもの。書いてくれればうれしい。ノートに子育ての悩みを書いてくれるときがある。保護者も書きながら気持ちの整理をしている。保護者が書いたことにはこたえるようにしている。

 

集団遊びについては私自身はあまり取り組んでこなかった。学童保育の生活の基本は、子どもにあると思っている。集団遊びを否定はしないが、私自身は子どもが自分たちでなにをしたいのかに目を向けていきたい。○○せねばならない、というのではない。集団遊びというかたちはとらないが、自然に人が増えていき、巻き込んでいくということはある(鬼ごっこ、サッカー・・・)。身体を動かすことでも、工作でも、自分自身がやって楽しいことを子どもとともにやってきた。一緒に楽しみたいと思っている。

 

集団遊びに入りたくない、やりたくない子もいる。そういった子どもとの関わりを考えるべき。

 

・文京区連協保護者代表

連絡帳について。対話が必要であるということを痛感した。我が家は毎日連絡帳に書いてきた。真剣に考えすぎず、フランクにどんなことでも書いてもいいと思っている。今読み返してみると、子どもに関係がないことを書いたときもあった。それでも保護者と指導員がフランクに話しができる関係が連絡帳を通してできたように思う。大人数になるとなおさら電話をかけて子どものちょっとしたことも言うことができない。なんでもいいので書いたほうが、そこから指導員は気付くことがある。

 

児童館併設の学童クラブで、「天下」というドッジボールの変形のようなもので遊んでいたことがあった。中学生の男の子も一緒に遊ぶこともあった。多少手加減してくれるもののそれでも低学年の女の子は太刀打ちできない。それが悔しく娘は家で練習した。結果、次は天下をとることができた。今思えば、集団遊びはよかったな~と思う。育成室では義兄弟ができた。保護者は親戚のおじさんおばさんといった位置づけ。

東京出身ではなく、地縁血縁がこちらにはまったくない。育成室で知り合った人と「父の会」ができ、そこからいろいろな情報を得ることができた。「あの道はあぶない」といった子どもに関係あることも。

自分がはいっていて、やりたいようにかえていってもいいと思う。さまざまなことを要求し、行事にも参加して関わっていくとよい。

 

民営公営ではなく、自分はどうしたいのか、自分のやりたいようにかえていくことが大事なことだと思う。

子育てから逃げることはできない。だからこそ子育てを通して自分の人生を楽しみたいと思っている。そういった目でみていくと、親にとってもいいのでは。

育成室を通じて得たネットワークがあるので、そこに通っている間だけでなく、その先も安心していられるということもある。

 

・司会

児童館には中高生も来る。学校や友達とうまくいかない思いをかかえてくる中高生もなかにはいる。そのストレスのはけ口に、児童館にやってきた小学生に暴力をふるう子もいる。以前そういったことがあったが、そのとき指導員は観ているだけだった。そしてその子が通っている中学校に連絡した。小学生の子はどうして助けてくれないんだろう、という不信感をいだいただろうし、中学生の子は中学校でも注意され、さらに居場所がなくなった。

こういうことをしていてはだめである。学童や児童館のなかでおこったことはそのなかで解決すべきである。それぞれの思いを受け止めて、進めていくべきである。

一方の肩を持ってはダメ。そうすると子に嫌われる。全員をきちんとうけとめようとしてくれるかが大事。

そういった教育を指導員や学童クラブがきちんとしているか、これまで区に問うてきた。研修会などをちゃんとやってます、というが、果たしてどうだろうか。

問題を解決するためにその子の気持ちを聞いてあげる必要がある。すっきり問題が解決できればいいが、そう言うことはそう多くはない。やはり感情は複雑である。

 

・学童クラブ職員

研修会を区が行っているかどうかは不明。民間から研修会の連絡がある。

保護者と指導員が話し合う場は少ない。双方で話し合うことがないので、片方だけでかかえてしまい、その振り返りの仕方が足りないと思っている。

指導員も経験がさほど多いわけでなく、「そうだよね」「それでいいんだよね」ということの連続。数をこなして、日々つなげていくという状況。委託1年目は嵐のようにすぎていった。関係づくりができてくるのは2年目からである。

 

・文京区連協会長

文京区の育成室は2箇所民間委託。2箇所とも区の評価は良好。来年新たに1箇所委託となる。

いろいろ経験したり、聞いてきてわかったのは、指導員の継続年数の関係が大きいということである。

民間の指導員は、最初はがんばっていられるが、そのうち無理が生じる。ひどいときは1年で指導員が変わることがあった。指導員自身が継続して関われないとはどういうことか。

委託費の問題ではないだろうか。

指導員は一生懸命やってくれる。しかし3年ぐらいすると経験がついてきて、新たにできた学童クラブにとばされることがある。

公営の育成室の指導員は公務員。学校の先生と同じ身分保障がある。産休や育休などで欠員がでたときでも、かわりの人がそこにはいる。

公営の場合、身分が保証された人が子と関わることができるというのがよい。それと同様、もしくはそれに近いかたちの保証があれば、よい保育ができる。

 

・学童クラブ職員

運営事業者としてつらい思いをかかえている。委託費は公営の場合とあまりかわらないと思うが、サービス内容が格段に充実している。委託費をけちっているということはないというが、中身が違うのでおのずから大変になる。

区はお金だけの問題で委託しているわけではないという。前例や制度、施設とのバランスをなくすことも目的だという。もっと子どもたちに見合った児童施設をつくるという目的があるとも言う。

放射能問題、ホットスポットが問題になっており、保護者が気にしている問題なので独自にこまめに検査をやることを提案したが、役所からはそれはやめてほしい、という回答がきた。バランスが崩れるからだそうだ。

残念なことではあるが、それでも工夫をすることで突破口が開けるはずだと思っている。

公営民営とのつながりをひろげていきたい。

地方では土地が安いこともあり、制度のしばりがなく、自由にやれるところもある。都心では物件を借りるのも難しい。しばりが多いため、やりたい仕事ができるわけでもないが、子どもと関われるのは楽しいことである。都会でも地方同様にできるような制度が欲しいと思っている。

 

・司会

経験の浅い指導員には、ノウハウがある公営の指導員が伝えるようにすればよい。お互いが意見交換できる場があればいいが、今はそれは区がやっているものしかない。

でも区が邪魔しているように思うときもある。文京区のキャンプのように垣根のない関係をつくっていきたい。

 

・役員OB

新宿区では、過去に指導員と保護者の集まりを年に1度行っていた。こういったことは、連協から申し入れていけば必ずできると思う。

以前東京都の研究集会では、指導員も実行委員として参加をし、司会もやっていただいた。

連協が話す、要望する、運営委員会で話していくことが大事である。要望書を連協より出して伝えていくとよい。これまでは保護者の立場として中途半端だった部分もあるかもしれないが、もう少し整理して今後も取り組んでいってほしい。

 

・東五軒 保護者

12月に業務委託の説明会があり、そこでコストの話しを聞いたところ、コスト削減にはならない、という回答を得た。サービスが拡大するので、職員の待遇が落ちるのでは、水準を示してほしい、と言った。そこが業務委託に関する肝になるのではと思う。

今後の進め方について、あまり広げすぎてはだめで、ポイントをしぼって、キーをみつけて対応していくべきだと感じている。

 

・司会

今後不定期ではあるが、かたろう会を2回、3回と続けていきたい。

本日のかたろう会に対するご意見感想をメーリングリストにあげてほしい。